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熊本家庭裁判所 昭和44年(少)891号 決定 1969年5月20日

少年 K・R(昭三〇・七・七生)

主文

少年を教護院に送致する。

少年に対して強制措置を執ることを許可する。

前項の強制措置を執り得る期間は昭和四四年五月二〇日より六カ月間とする。

理由

(非行事実)

少年は昭和四三年九月二六日に児童福祉法の措置により熊本県立中川学園に収容されたのであるが、入園後も素行がおさまらず、学園内では反抗的態度で、他の園児に乱暴を働き弱い者いじめを続け、一〇月一八日、一一月○○日、昭和四四年三月四日、四月○日と四回に亘り逃走を行ない、そのうち、一一月○○日には園児川○和○、同美○鉄○と共に逃げたのであるが、まず園内において同園教諭所有の肥後守ナイフ一本を盗み、次いで、午後三時頃前記園児と共謀の上、熊本市○○町○番○号河○晶○方において、同人所有の現金六、〇〇〇円と同居人島○清所有の玩具ピストル一個(時価五、〇〇〇円相当)を窃取し、更に同市△△町○番○○号○○神社賽銭箱から現金一一〇円を窃取した。

四月○日には、園児○峯○一、松○学、川○和○、○田○男と共に同園のテント一張を持つて逃走し、同月△日午後一時四〇分頃前記五名と共謀し、北九州市門司区○○丘○○の○○服○勇方裏側の勝手口から屋内に侵入し、留守番をしていた服○勇の長女真○美(一二歳)、長男浩○(八歳)に対し、「さわぐな。」と所携の登山ナイフを突きつけて脅迫した後、台所のタオルで両名の手足を縛り、サルグツワをはめ、同家箪笥等から、服○勇所有にかかる現金三、五四四円を強取した。

四月○日逃走直後より×日にかけて前記五名と共謀の上、熊本県下において窃盗五件(空巣四、事務所荒一)を敢行し、総額五万九、〇六八円相当の被害を与えている。

(処遇)

一、少年の非行歴

昭和三七年四月少年は宮○小学校に入学したが、三年の頃(昭和三九年五月)に、友人松○豊等と共に、少年の家の直ぐ前にあつた休業中のパチンコ店北○寿○方において、同店の電球五〇個位、椅子四〇脚位を破損し、更に店において保管中のパチンコ玉三〇個位を窃取し、六年の頃(昭和四二年八月○○日)に、友人高○晃と共に宮○小学校にて現金一、六〇〇円、熊本市内の食堂で現金二〇九円を窃取し、熊本市内の旅館に宿泊し、翌△△日熊本市内の路上に駐車中のトラック荷台に寝ていたところトラックが動き出し、そのまま別府市に至り同市○町において永○準○郎所有のポロシャツ等二点を窃取した。

昭和四三年四月に少年は○○○中学校に入学し、五月○○日午後八時頃高○晃と共謀の上、肥○銀行宮○支店前路上に駐車中の自動車内より麻○○昭(三七歳)所有にかかる現金一万二、〇七〇円他六点、合計一万四、二七〇円相当を窃取し、これを旅費として大阪方面に向つている間に、広島で列車内において補導され、保護者たる養母に引取られ帰宅中、熊本駅で保護者の隙を見て逃走し、三日後所持金を費い果たし北署に保護され養母に引取られた。同年七月には、少年は度々の非行に腹を立てた養父から体罰を加えられたため家出し北署に保護された。同年八月二六日熊本県立白川学園に収容となり、その後は前掲非行事実記載のとおりに逃走事故とか触法事件を起している。少年は前記四月○日の逃走計画中に、同月△日昼頃学園内において美○鉄○、石○政○、松○学等の園児に「電灯線を利用して不知火寮を焼く」と放言して、美○をして同園浴場ボイラータンクから石油を盗ませたが、放火について他の園児の態度が消極的であつたため、これが実行に移すことなく、盗んだ石油は翌日の逃走の際携帯して行つた。

二、少年の性格

少年の性格は、明るいが不安定性が強く、対人関係において素直に自分の考えとか感情を表現しない。物事に無感動で慢性的な欲求不満が強いし、行動面における即行性が強い。常に自分の殻だけに閉じこもり、対人的接触態度は極めて不良である。自我も強く我ままで、意のままにならぬと自分が体力的にすぐれているのを利用して乱暴を働いたり、物も投げつけたり、他の園児に乱暴をしたりする。以上の点は鑑別結果通知のS・C・Tにおいて極めて顕著に現われているのであつて、性格の偏倚は相当に激しいものの如くである。

三、家庭環境

少年は出生後間もなく父母が離婚したため一時父に引取られたが、父も少年の養育に困り、少年が一歳七か月の頃に現養父母に養子にやられて現在に至つている。

養父は一定の職もなく毎日徒食生活を送り、パチンコにも耽溺している。少年に対しては全く無関心で放任的であり、若い頃から遊び人的生活を持ち、喧嘩も度々やつたこともあるところから、時と場合によつては暴力も可なりとする考えを持つて、これを少年に植えつけている。養母はもと芸者であり、一時は養父と共に小店を持ち飲食店を経営していたが、昭和四二年五月に店が火災により焼失してからは、旅館とか、料理屋の仲居をして働いて家計を維持してきている。少年に対しては、幼少時は溺愛するのみでひたすら金で少年の関心を得ることに努め、小学校中年頃から次第に少年の非行性が芽生え初めると、非行の度びに厳しく叱責するが、矢張り実親子関係にないという消極的態度は少年の躾の上に筋を通さずに、単に子供には金さえ与えて置けばよいとする考えが強く、日常生活の中で少年との心的融合を図るための何等の方法も執ることは無かつた。養父母はいずれも少年に対して権威は持たず、養父の兄弟が大学を出て成功していることに対するひけ目が強く、少年を勉強させ、上級学校に進学させたい等と自分等の画く夢に少年を引き入れんとすることからして、少年に過剰な期待をかけることにもなり、少年は能力的にそれに応じられず、次第に勉強を嫌うようになつてきている。少年の今日の非行性は、素質的な問題点もさることながら、いわば放任的な家庭環境と養父母の躾に対する無定見に由来するものといわなければならないであろう。

かつて少年を白川学園に収容するに当つても、児童福祉司の勧めにも容易に従わず、漸く、必ず更生するならばと、収容を承諾した経緯もあり、少年に対する盲目的愛情はなお養父母に根強いものがあるが、本件審判の段階においては、従来の監護養育の在り方についていくぶんかは反省の様子もうかがわれ、少年の将来にとつては矢張り有力なる社会資源と思われる。

しかしながら、現状においては少年の強度の非行性からして未だ養父母の力では少年を更生せしめることは不可能であろう。

四  少年の処遇について

少年の非行歴には顕著な非行事実として表わさなかつたが、いわば表面化しておらない事実として、第四回目の本年四月○日の逃走をした際に、国鉄線路上に石を並べたり、駅構内のポイントに石を詰めポイント操作の不能化を図つたり、服○勇方で長女真○美に対し猥褻な行為を行なつていることも挙げなければならないが、要するに、前指摘非行事実、少年の性格、家庭環境、非行歴等を総合して判断すると、少年の非行性は極めて進んでおり、その上性格的な欠陥もあつて現在の家庭環境下においてはもとよりのこと養護施設たる白川学園でも、少年の行動の抑制とか、性格の矯正は不可能であると考えられる。そうすると、少年に対し少年院にての矯正教育を受けさせることも考えられないではないが、少年の年齢は未だ一四歳に満たないのでかかる措置は適当とは言えない。

ところで、熊本児童相談所長は本少年につき児童福祉法第二七条の二、少年法第六条三項により強制措置の許可を求め、予備的に児童福祉法第二七条一項四号による審判を求めて事件送致をなしてきているのであるが、そもそもこのような送致形式を執る所似は、強制措置許可の決定を受け、当該決定に基づき少年を強制措置を執り得る教護院に収容したとしても、決定により定められた強制措置を執り得る期間を経過せる場合に、なお引続き教護院に収容するには、児童福祉法第二七条一項三号により都道府県知事またはその委任を受けたる児童相談所長が、少年を教護院に入所させる措置を執らねばならず、その場合、同法第二七条四項により、少年の保護者の承諾を得なければならないわけである。而してその承諾が得られないときは、強制措置期間満了と共に少年を保護者に引渡さなければならず、そうした場合充分なる矯正教育の効果を期し難いがために他ならない。本件においても、当初少年が白川学園に収容されるについても、少年の養父母は極力反対した事実と、養母が学園では勉強させて貰えない、仕事が多すぎる、水がかりが多く少年が可愛想である、等の点から少年を引取りたき意向を示しているところから、多分に強制措置期間満了後の在園については反対の意向を示す虞れがあるわけである。さればこそ熊本児童相談所長は強制措置の許可と措置期間満了後の教護院に保護者の承諾を得ずして収容するため、裁判所にこのような二個の送致をなしたものと解される。

そうしてみると、強制措置の許可を求める送致と通常の審判による保護処分を求める送致とは、そのいずれが主であり他が予備的という関係にあるべきものではなく、併位的な送致と解するのが相当である。従つて家庭裁判所としては、強制措置の許可と併せて少年を教護院に送致する決定も、また両送致のいずれかを認めた上他を排することも出来るわけである。このような見解に立つとき、少年に対しては厳正なる規律下に科学的分類による処遇を期して教護院に送致するのが適当であり、併せて熊本児童相談所長より求められている強制措置については、前指摘の少年の性格、少年の白川学園における行動等からして、これが許可をすることとする。而して少年を収容すべき教護院は、強制措置との関連性から国立武蔵野学院と定めるべきであり、強制措置を執り得る期間は、前指摘のすべての事情を勘案して昭和四四年五月二〇日より六か月間とする。

よつて、少年法第二四条一項二号、同法第一八条二項を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 未光直巳)

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